比較論私達は、比較によって成り立っている。 というか、比較することによって事実を認識している。 例えば、世界には白という色(白は色ではないけど)しかないとする。無論、自分も白。 その時、白しかないというのに、そこに白が存在しているということが認識できるか。白の存在を認めることができるか。 それは、到底できない問題だ。だって、白しかないのは無いのと同じだから。比較する対象がなければその存在を認めることができない。 世界に存在している全てのものには、対なるものがあるはず。 大まかに言ってしまえば無と有。物質と気体(空気)。物があるから、その物以外の場所には空気があると言える。 目に見えない感覚的なものもそうだ。不幸があるから幸せがある。汚いという観念があるから綺麗という観念がある。 この世界では、“セット”であることが常識。不純物であるのが常。 完璧な人間なんていないし、正義のヒーローも存在しない。むしろある一色でしか形成されないモノは、それだけで悪。常識じゃないモノは有り得ないから、嫌悪の対象。 けれどもこれは素晴らしいことでもあるのだ。 大きな不幸を知ったなら、ちいさな幸で喜べる。 大きな傷を知っているなら、ちいなさ傷では冷静になれる。 つまり、苦労した分だけ嬉しさ倍増ってやつ。なんかお得でしょう? 正義のヒーローが本当に存在してたら悪だなんてちいさい子どもには教えられないけど、それなりに、幸せなことなんだ。 ジャンル別一覧
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